チェスケー・ブディヨヴィチェのバスターミナルから出発するバスは南西へ。45分ほどでチェスキー・クルムロフの町に到着する。緑豊かな小高い丘に囲まれる中をプラハの街を流れるものとはまったく違う表情を見せるヴルタヴァが弧を描いて流れ、その弧の内部には古い街並みが息づき、観光客が賑やかに行き交う。対岸にはボヘミアの城館の中ではプラハ城に次ぐ規模を誇るチェスキー・クルムロフ城がこの町を見下ろしている。しばらく前に出版された『ユネスコ世界遺産
北・中央ヨーロッパ』のカバーの表紙は実はこの町の上空からの写真だ。世界遺産に登録されてからすぐ南のオーストリアやお隣のドイツからどっとツアーの観光客が入りこむようになったというこの町。お年寄りの団体がこの旅行中一番目についたのもここだった。
弧を描くヴルタヴァの内側にぎっしりと古い建物が並んだ旧市街の広さはたいしたこともなくのんびり散歩しても半日もすればだいたいどこに何があるのか頭に入る。どっちに歩いた所ですぐヴルタヴァの流れに出会えるのだから道に迷うことなどありえないもの。この町にはエゴン・シーレの母親が出身ということもあってエゴン・シーレ国際文化センターもある。シーレの作品から受ける印象とこの町の雰囲気とは素人目には結びつかないものがあるが、シーレには「死んだ街」と題された連作もある。一時は主だった産業もなく歴史の中に埋もれそうになった街だという話を聞くと、つい数ヶ月前まではまったくこの町の名前さえ知らなかった私だけれど、明るい姿を取り戻しているチェスキー・クルムロフの街並みを見られるのはうれしいことだ。
対岸のチェスキー・クルムロフ城はいっぺんに建築されたわけでなく、その時代、時代に次々に建物が付け加えられて現在見られるような大きな城館になったということだけど、様々な様式の建築が調和して見える様はさすがだし、市街から見上げるその姿には迫力がある。逆に、クルムロフ城から見下ろすクルムロフの街並みもほっと旅の疲れを癒してくれる眺めだった。
ここで泊まった宿の部屋に置いてあったインフォメーションには、その建物が1459年に建てられた民家を起源としたもので、インテリアは1910-30年頃のものだと書いてあった。なんだかものすごく渋くどっしりした感じの家具やベッドになんとなく感心してしまった。
Photo: View
of Cvesky' Krumlov , Sep/97
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